全ての女性へ伝えたい!!結婚や出産に憧れていた20代の私
「30歳までに結婚して、子どもは3人産みたい!!」
独身だった私は、ずっとそんな風に考えていました。
女子校、女子短、保育士!!と言う人生で、25歳になり30歳という数字が近付いてきたように感じていた頃、
“何だかこのままこの環境で生活していたら、結婚する事は難しいかもしれない、、”
そう考えるようになり、27歳の頃に動き始めました!!
29歳で結婚して、30歳で長女を出産。
31歳で次女を出産。
動き出した事により、なりたい自分へ近づく事ができました。
「子どもが欲しい!!」と思ったタイミングで妊娠し、10ヶ月の妊婦期間も特に大きな問題もなく、出産も二人とも安産だったので、妊娠したら出産できるものと言う事が当たり前のように感じていました。
長女と次女を2学年差で育児していた私は、3人目もまた2学年差で授かりたいと思っていました。
経済的な事や子どもたちのこれからの成長を考えた時に、長女と4学年差次女と2学年差で妊活をしていました。
結果、赤ちゃんを授かる事はなく「やっぱり今と言うタイミングでは無かったのかな、、」
と思っていました。
来るべき時に来てくれるのかな、、
色んなことを感じながらもずっと、「子どもは3人ほしい!!」と思っていました。
それは、私も主人も3人兄弟と言うことは大きかったのかもしれませんが、基本的には仲の良い娘たちが、次女は長女がやる事ばかりが気になり、うまく思いを伝えられずに喧嘩になったり、矛先がお互いでしかない2人やり取りを見ていると、もしももう1人いて、やり取りが3人になれば今ある環境が大きく変わり、姉妹が、家族が、もっともっと良い形に変わるのではないか、、
幸せの絶頂から4年ぶりの産婦人科で告げられた流産
長女が5歳、次女が3歳になった頃、赤ちゃんだった二人からちょっぴりお姉ちゃんになりだして、母としての私の役割も少し余裕ができて次女と4学年差になるように子どもが欲しい!!
と思うようになりました。
主人とも話し合い、妊活が始まった3ヶ月目の3月21日私達の結婚記念日に、妊娠が解りました!!
結婚記念日に解った妊娠は特別で「運命の子だ!!!!」と思いました。
やっと叶った私達の夢で、これから変化していく生活を想像しながら、とても嬉しく感じました。
トツキトオカと言うアプリをとって、11月頃に産まれると解り、仕事の調整や行事の兼ね合いなど考えながら、新しい人生に期待ばかり膨らんでいました。
3月30日に4年ぶりに産婦人科に行く時には、なんだかワクワクして、子宮の中にまだ小さな胎嚢を確認できた時には、エコー写真を見ながら母とお祝いのランチを食べました。
まだまだ小さいので、2週間後に再び受診することになり、7週に入った4月13日に主人にも付き添ってもらって産婦人科に行きました。
心音を確認して、母子手帳をもらえる!!
現在コロナウイルスの影響で、主人は診察室に入れないので、エコーを動画に撮っておこう♡
と思いながら、診察台に上がりました。
しかし、この日に赤ちゃんの心音は聞こえず、、
先生からは「流産かもしれない」と言う言葉を聞きました。
早くて5週で心音が確認できて、7週ではほぼ確実に聞こえると言うこと。
7週で聞こえなかった心音。
再び1週間後に診察を受けることになりました。
家に帰ってから次の検診までの1週間。
とにかく流産についてあらゆる情報を求めました。
「7週 心音 聞こえない」
「稽留流産」
「8週で心音確認」
など、検索して赤ちゃんが大きくなっていると言う僅かな光を信じながらも、もしかしたらだめかもしれないという大きな不安を抱えながらも、つわりはずっと続いていました。
今までは「お腹の赤ちゃんが生きているから、私もつわりを乗り越えなきゃ!!」と言う思いで、つわりと向き合ってきました。
でも今回は、赤ちゃんが育っていないかもしれないという大きな不安を抱えている間でのつわり。
仕事がある日は気持ちも紛れて、通常通りに過ごせるのですが、休みの日は動くことができずずっと横になっていました。
「ママお腹痛いから、お外行けなくてごめんね、、」
元気な子どもたちに何度も何度もそんな風に伝えて、優しい子どもたちも理解してくれていました。
妊婦さんの中には、7週で心音が確認できずに次の検診で心音が確認できたと言う投稿もありましたが、それはとても珍しい事。
つわりが有るなら、成長しているかもしれない!!
お腹の赤ちゃんに何度も何度も「ママだよーー!!」「大丈夫ーー??」と話しかけて、、
検診までの一週間がとても長く感じました。
4月21日に検診に行った時にお腹の赤ちゃんは9周目に入っていました。
インターネットで9週目のエコーの画像を見ていたので、エコーに映る私のお腹の赤ちゃんの姿はまるでちがう事が自分でもすぐに分かりました。
頭と体が分かり、心臓の動きも見えるはずの9週目の赤ちゃんですが、私の赤ちゃんは小さな丸い姿でした。
「稽留流産です、、」
と言われて、看護師さんと一緒に別室で今の状態やこれからの手術の話をゆっくりと丁寧に、私の気持ちも聞いてもらいました。
妊娠した赤ちゃんのうち、3人に1人は流産してしまうと言う現実。
そんなに沢山の女性が、同じ様な経験をして、同じ様な思いをしていると知りました。
妊娠したら出産すると思っていた私。
健康だけが取り柄で、今まで大きな病気をしたこともないし、病院で複雑な思いを感じたことも無かった私。
稽留流産は、染色体のに問題があって起こるもので、私には原因が無いと書いてありますが、何か原因があったのかな、、
あの時主人と喧嘩した事で赤ちゃんが不安を感じて、「ママとパパのところには産まれたくない、、」って思われちゃったのかな。
私がもっとしっかりしていたら、安心してお腹にいてくれたのかな、、
色々なことを思いました。
主人や、喜んでくれていた母へ流産の事を伝え、みんなで悲しい気持ちになりました。
初めて産婦人科に行ってから1ヶ月後に行われた流産手術
心音が確認できたら、子どもたちや大切な人達にも妊娠の報告をしようと思っていましたが、このような状況だったので妊娠した事は殆ど誰にも伝えていませんでした。
でも、お腹にある命の事は無かった事にはしたくない!!
子どもたちにも伝えたい!!
と思い初めてお腹の赤ちゃんのことを伝えました。
「ママのお腹には、赤ちゃんがいるんだって!!だけど大きくなれなくてお空に帰っちゃうんだって。でも、ママのお腹にいたらあなた達の声が聞こえてとっても楽しそうだからまだお空には帰りたくなくて、今もお腹にいるんだよ。」
子どもたちは私のお腹をなでながら、
「きっと忘れ物しちゃったから取りに帰ったんだよ!!!」と言っていました。
手術の日が9日後の4月30日と決まりました。
手術の日までにもしかしたら自然流産をするかもしれない。
出血をしたらすぐに病院に連絡してくださいね。
と言われました。
流産したと分かってから、手術の日までもつわりは続いていました。
お腹にいる事ははっきりと感じながらも、生まれる事ができない命という事。
とても悲しくて、どう向き合えばいいのかわからなかったです。
産婦人科に行くたびに、妊婦さんを見るたびに「どうか生まれる事ができますように。」と感じるようになりました。
当たり前に妊娠して、何事もなく出産していた私には「出産は奇跡だ!!!」という言葉は全く響かずにいましたが、妊娠する事、お腹の中で10ヶ月過ごすという事、生まれてくるという事、、
これは、素晴らしい事なんだと改めて強く感じました。
長女と次女がいてくれたからそんな風に感じる事ができましたが、もしも一人目で流産していたら、、
もしも、兄弟は欲しいと感じていた2人目で流産していたら、、
同じようには思えていません。
手術当日、家族みんながお腹の赤ちゃんにお別れをして、産婦人科に行きました。
手術の準備が始まり全身麻酔を打ちながら手術が始まるまで、とても怖かったです。
今まで2度出産してきましたが、出産よりも怖くて、こんな思いをしている人が3人に1人もいると感じると複雑な気持ちになりました。
流産を経験して変化した私の気持ち
元の体に戻るのに、2、3ヶ月はかかると言われました。
流産を経験して、女性として考え方が大きく変わりました。
我が子達のことを更に愛おしく、大切に感じるようになりました。
また、育児中のママたちにも命を大切に、今しかない時間を大切に過ごしてもらいたいと感じました。
普段、マイナスな事は投稿しませんが、マイナスだった出来事と言うことだけで終わらせたくないと感じたので投稿させていただきました。
「同じ経験をした人がいる!!」と感じられるだけでも、安心できる方がいると思います、
一人じゃない!!!!
妊婦さん!!
どうか体を大切に過ごしてくださいね。
二人の娘がいて、長女はもうすぐ小学生。
私もママ歴は6年で色んな事が分かった様な気がしていました。
まだまだ知らない事が沢山あって、色んな思いを感じているママがいるんだと気付きました。
レッスンに来てくれるママ、出会うママ達の気持ちにもっともっと寄り添えるような講師になりたいと感じました。